AIが「契約書がないので請求できない」と答えたとき、弁護士ならどう見るか
契約書を作らずに仕事を依頼し、代金が未払いになった相談を題材に、口頭契約の成立、合意内容、メールやチャット、納品物、支払記録の確認方法を整理します。
給与に固定残業代が含まれる会社で、追加の残業代を請求できるか。AIの回答例を題材に、労働条件通知書、給与明細、実労働時間、固定残業代との差額、時効を確認します。
毎月の給与には「固定残業手当」が付いている。会社からは、残業代をあらかじめ払っているので、何時間働いても追加の支給はないと言われた。勤怠記録を見ると、遅い月は月60時間ほど残業している。
この事情をAIへ入れると、次のような回答が出ることがあります。
雇用契約で固定残業代込みと定められているため、追加の残業代は原則として請求できません。固定残業代は実際の残業時間にかかわらず定額で支払う制度だからです。
固定残業代という名前だけを見て、結論まで進んでいます。ここでは、少なくとも二つの確認が抜けています。何時間分の残業代として、いくら支払われているのか。そして、実際に発生した割増賃金がその金額を超えていないかです。
厚生労働省の案内では、固定残業代を支払う場合、通常の労働時間の賃金に当たる部分と、割増賃金に当たる部分を判別できるようにする必要があります。そのうえで、労働基準法37条などに従って計算した割増賃金が固定残業代を上回る場合は、差額を支払う必要があります。
たとえば、労働条件通知書に「固定残業代4万円、時間外労働25時間分」と書かれていて、ある月の割増賃金が計算上7万円になるなら、固定残業代を払っているというだけで残り3万円が消えるわけではありません。
逆に、「毎月60時間残業したから必ず請求できる」とも、まだ言い切れません。計算の基礎となる賃金、法定労働時間を超えた時間、休日労働、深夜労働、変形労働時間制の有無などを確認する必要があります。
確認するのは、雇用契約書や労働条件通知書、就業規則、賃金規程、給与明細です。「営業手当」「職務手当」など別の名前が付いていても、その手当が時間外労働の対価として支払われたものかが問題になることがあります。
AIは、相談者が「固定残業代です」と書けば、その言葉を事実として受け取りがちです。しかし、実際の書面には対象時間が書かれていないかもしれません。会社が入社時にどう説明したのか、給与明細で基本給と手当が分かれているか、手当の金額が途中で変わっていないかも見ます。
一方、事業者側でも、手当の名称だけを変えれば固定残業代として扱われるわけではありません。契約書等の記載、説明内容、実際の勤務状況が食い違っていれば、紛争になったときに説明が難しくなります。
固定残業代との差額を考えるには、月ごとの労働時間が必要です。タイムカード、勤怠システム、パソコンのログ、業務メール、チャット、入退館記録、シフト表などを確認します。
ただし、会社にいた時間がそのまますべて労働時間になるとは限りません。休憩だったのか、会社の指揮命令下で業務をしていたのかが問題になります。持ち帰り作業や始業前の準備も、本人が自主的に行っていたのか、業務として必要だったのかで見方が変わります。
AIへ「毎日9時から22時まで会社にいました」と入れると、その全部を労働時間として計算することがあります。反対に、勤怠記録がないというだけで請求不能と答えることもあります。どちらも早すぎます。残っている記録を月ごとに並べ、休憩と業務を分けていく必要があります。
賃金請求権の消滅時効は、賃金支払期日から進みます。厚生労働省は、2020年4月1日以降に支払期日が到来する賃金について、時効期間を5年に延長しつつ、当分の間は3年と案内しています。
「過去3年分を請求できます」というAI回答も見かけますが、相談日から機械的に3年分をまとめるのではありません。各月の給料日から時効が進むため、古い月から順に問題になります。資料を集めている間にも時間は経ちます。
もっとも、時効が迫っているからといって、AIが作った金額をそのまま内容証明で請求すればよいわけではありません。対象期間、計算方法、手元の記録、会社側が持つ勤怠資料を確認し、どの方法で請求するかを決めます。
最初のAI回答は、次のように直します。
固定残業代が支払われていても、追加の残業代が一切発生しないとは限りません。雇用契約書、労働条件通知書、就業規則、給与明細から、固定残業代の金額と対象時間を確認してください。次に、タイムカード、パソコンのログ、メール、チャットなどから月ごとの労働時間を整理します。労働基準法に従って計算した割増賃金が固定残業代を上回る月は、差額が問題になります。請求権の時効は各月の賃金支払期日から進むため、古い期間がある場合は早めの確認が必要です。
この形なら、「固定残業代」という言葉だけで諦めることも、在社時間を全部残業として直ちに請求することも避けられます。
AI添削相談では、AIへの質問と回答に加え、労働条件通知書、給与明細、就業規則、勤怠記録などを確認します。相手方へ送る請求文をすでに作っている場合は、AIが作った内容証明案を送る前の確認点もご覧ください。
参考: 固定残業代に関するQ&A(厚生労働省) / 賃金請求権の消滅時効に関するQ&A(厚生労働省)
この記事は一般的な解説で、個別の事案に対する法的助言ではありません。具体的な対応は、契約書、通知書、やり取りの記録といった資料と事実関係によって変わります。
AIで作った相談メモ、内容証明案、相手方への返信案があれば、そのまま相談資料として確認します。